Cogito

東明の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな
或はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

2017-04-26

リルケの墓碑銘(改訂再録)


リルケの墓には自ら書き残した墓碑銘が刻まれている。

ずい分前にその訳詩を読んだが、当時は、首を傾げ・・・解らないままだった。
かなり鈍感だったのだろうとは思うが、「純粋なる矛盾」の訳語が引っかかって先に進めなかった。

今日、妻の永遠の眠りを自らのまぶたの下に宿しながら、ふと、この詩に思いが及び、改めて原詩を自分の言葉で読んだ。


Rose, oh reiner Widerspruch, Lust
Niemandes Schlaf zu sein unter
soviel Lidern.

薔薇、おゝ こよなき矛盾、よろこびよ
これほど多くのまぶたの下に 誰の眠りをも
宿すことなく。


Rainer Maria Rilke 1925 墓碑銘, 土のちり訳


注)2016/06/08付原稿を改訂
  1. 第5,6行に補足加筆
  2. 原詩挿入
  3. 訳文:おお → おゝ

一年前ベランダに咲いて愛でた大輪の薔薇

2017-04-24

中原中也「正 午」


正 午

丸ビル風景


あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの眞ッ黑い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの眞ッ黑い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな


中原中也 1938 「在りし日の歌」



出典:中原中也全詩集 P.273 1972 角川書店
注)なんのおのれが桜かな = 昔の川柳「酒なくて なんのおのれが 桜かな」を引用

2017-04-22

タチアナ・リツコヴァさん J.S.B.“Allegro”


2週間ほど前、12歳当時の、トークと演奏のビデオを紹介したタチアナ・リツコヴァさん、その後の演奏から一つ。

  J.S. バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番BWV1003より “アレグロ”

飛ぶような弾けるような、撥弦楽器特有の響きと相まって、タチアナさんの演奏、明るく、柔らかく、生き生きとしています。

この演奏より4年ほど前に同じ曲を演奏したビデオもありますが、その時の演奏より更に陰影があって、繊細で少しウェットな感じも加わっているようで、素晴らしい。

潤いを得て、バッハが生き返ったかのように、私には聞こえます。

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“ Allegro from Violin Sonata No.2” BWV1003
作曲: J.S.Bach 編曲:Unknown
Gt: Tatyana Ryzhkova

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この曲、本来のバイオリンの演奏で聴くと、私が大の苦手とする、そして、バッハが得意とする ”分散和音” の連続で‥‥‥おそらく芸術性が大変高いのだろうと思いますが、私は聞いていて疲れてしまいます。
連続する分散和音はモダンジャズでもずいぶん聴いて、どちらも、もう食傷の果て。

これは、私が、本来、芸術には興味がない、ということの顕れだろうと思います。

どう考えても、どのような芸術作品も、私は ”エンターテイメント” として味っていると思います。
あるいは、私は ”芸術” というものは、よく解らないし、それ以前に、好きではない、いや嫌いだと言った方がいいくらいです。
特に、新進芸術家と自称するかそう呼ばれる人、あるいはマスコミが、新しい芸術云々と称して、グランドピアノの足をのこぎりで挽いたり、建物を布で包んだりする、そういう類のものを喧伝する時、芸術という言葉自体が嫌になります。

しかし、身の回りにある様々な分野の ”芸術作品” と呼ばれるものに、好きなものはたくさんあるし、好んで味わい、深い感銘を受けたりもします。
私にとって、他の人はともかく、それらは、突き詰めて云えば ”エンターテイメント” である、と云うことです。
おそらく、私が ”芸術作品” に求めているのは、カタルシス(精神の浄化)という、多分に情緒的なものなのだと思います。
そして、作品の中に新しい美そのものを発見したり、分析して新しい美を追求したりするような意味での ”芸術” には背を向けている、それがエンターテイメントの中身なのだろうと思います。


2017-04-20

かへり見すれば


ひむがしの にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ

柿本人麿かきのもとひとまろ:万葉集

出典:日本古典文学全集 萬葉集1 1999 小学館
注)かぎろひ = 何をさすか不明 一般には ” かげろう” を意味する 春の枕詞


2017-04-18

中原中也「月夜の濱邊」


月夜の濱邊


月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、たもとに入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれはほうれず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先にみ、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?


中原中也 1938 「在りし日の歌」


出典:中原中也全詩集 P.256 1972 角川書店
注)一部ルビ加筆